先日、東京へ行ってきました。
そこで、目白台の永青文庫で行われている「春画展」へ行ってきました。
いやー、噂には聞こえていましたが、すごい行列でした。
最後尾に並んだ時点で、「1時間待ち」と言われましたから。
並んで美術展に入るのは初めてでした。
こんばんは。
わかばです。
1時間並んで、やっと中に入ると黒山の人だかり。
しかも、流れがない!
老若男女しがみつくようにしてご覧になっている・・・。
30分くらい見て、半分くらい見られたかなぁ・・・という感じです。
ゆっくり見られませんでしたが、満足です。
エロであり、アートであり、
笑ってしまうユーモアもあり、思わずため息ものの美しさもあり・・・
今日は、そんな春画展に行く前に読んでいた
を紹介したいと思います。
この本、間違いなく面白くためになります。
いままで、「?」と思っていたことが
「そうなんや~」と解決します。
たとえば、「遊女」について。
「遊女」は売春婦なのか否か。
その説明がどうして難しいのかというと、近代以降の我々は、「性交の有無」というところに一線を引いてしまっているからです。「遊女」というのものを存在させていた時代は、彼女達が客に対して性行為を提供していたかどうかを、あまり問題にしません。彼女たちは、客にエンターテイメントを提供する職業の女性で、性行為は、そのエンターテイメントと一線を引かれて特別扱いされるようなものではなかったのです。
なるほどー。
今の時代のものさしではわからないこともあるのでしょうね。
近代化以前のその文化が垣間見られるような気がします。
それから「へえ~」と思ったのは、
春画に描かれている女の乳首には色がついていないのです。
それについて著者は近代以前の日本には「オッパイ文化」がない。
と言っています。
またその理由について
オッパイというものは子どもがしゃぶるものだった。
そこに大人と子供に関する見えない一線があったと書いています。
本書によれば、旧約聖書では妊娠に結びつかない性行為は禁止しているそうです。
それはタブーです。
では、日本にはタブーがあったのでしょうか。
タブーはないがモラルはあると著者は言っています。
日本の古代には「性的タブー」というものはなかった。ただそこに「モラル」があったというだけです。モラルがあって「ただそこに鶏がいるとやっちゃうんだよね」とか、「年増とやったんだけど、そこに娘もいるとついやっちゃうんだよね」ということも起こって「やっちゃいけないよ」というモラルがあるからそれをつい隠してしまう。そんなことをしているとロクなことにはならないから、神様にお願いして、その「隠していたこと」をオープンにして、祓ってもらってすっきりする。ーそれが大祓なるものを行っていた過去の日本というものになります。
「へえー」としかいいようがない文化論です。
この記事を書くために何度か読み返しましたが、
「へえー」という気持ちを上手く書けたとは思えません・・・。
が、春画展とこの本が私のなかの日本文化論に、
新たな切り口を運んでくれたことだけは間違いのない事実です。
年末に、江戸文化を(??)
では、さようなら~