暖かい日が続きますね。
そういえば、今年は真冬のコートを
数えるほどしか着ていません。
そういえば、冬服もほとんど買い足していません。
もうおしゃれはあきらめました!
こんばんは。
わかばです。
今日は「諦める力」為末大著(ダイアモンド社)
を紹介したいと思います。
修士号をとって大学で働くかつての同僚や友達を
羨ましく思っていました。
基本的に大学で働くためには修士号が必要とされます。
私は修士号を持っていないので、大学で働けません。(例外は除いて)
ですから、大学院に行くことをすすめてくれる人もいました。
でも、諦めました。
理由はいろいろありますが、
本当は動機が「認められたい」だったからです。
心から信頼している友人で博士課程に在籍する彼女に
「大学院は研究をするところだよ。わかばちゃんは何が研究したいの?」
と問われ何も言えませんでした。
そんなものはありませんでした。
だって動機が「認められたい」なのですから・・・。
私は日本語学校が下で大学が上だと思っていたのです。
なぜか?給料もいいし世間体もいいですしね。
自分が上に行って認められたい。ただ、それだけ。
修士をとればそれに近づける。そう思っていました。
今から思えば、ほんま、ドアホです。お恥ずかしい限りです。
自分の幸せを自己評価する基準が給料とか世間体なのですから。
しかし、その友人と話して目が覚めました。
そして考えました。私の目指すものはなんだろう?
他人由来の幸福は、つまり移ろいやすい世の中の評価の中心に振り回され続けることになる。そして未来にゆだねた幸福は、ずっと掴んだと思えば慣れてしまいもっともっとと加速する。幸福は外や先になく、今ここにしかない。
なんでもかんでも手当りしだいに手に入れることで、幸福が得られるわけではない。むしろ、ある段階がきたら「もうこれはいらない」と手放していくことで、幸福が近づいてくるのではないだろうか。
まずは「自分はこの程度」と見極めることから始め、自分は「何にでもなれる」という考えから卒業することだ。そこから「何かになる」第一歩を踏み出せるのではないだろうか。
「仕事で認められたい」という気持ちは全くないといえばうそになるけど、
自分のなかでの優先順位は本当に下がったと思います。
私の目指すものは、もっともっと「言葉」について、考えたい、知りたいということ。
また、それをたくさんの人と共有したいということ。
それなら、手段はひとつじゃない。
この本はそれを私に思い出させてくれました。
手段はあきらめてもいいけれど、目的をあきらめてはいけない。
だから、今を大切にしながら、
いろいろなことに挑戦してみよう!そんなふうに思っています!
頑張りすぎて立ち止まっているあなたに「諦め」を。
では、また!!