イギリスがEU離脱??
昨日の午後、そんなニュースが飛び込んできました。
ツイートをみていると、
「EU離脱しても、日はのぼるし、作物は育つ。
そんなん知らんがな。」という意見と、
「なにそのお花畑脳?!これがどのほどのショックか
わかっているのか??」
というような二つの意見がありました。
わたしとしては、たとえ世界恐慌が起ころうとも
自分でどうしようもできないことで、
ジタバタしてもしょうがないなぁ~と思っています。
こんばんは。
わかばです。
第2回読書会
第2回読書会を開催いたしました。
今回も課題本は「幸せになる勇気」です。
今回は第2部と第3部を読みました。
雨の中、参加してくださったみなさんに感謝です。
ありがとうございました。
まずは、お食事から。
かつおのたたき。
お酒はこちら。
和歌山の紀土(キッド)です。ひやでいただきました。
くーーーっ!
さてさて、みなさんそろったところで、読書会スタート。
今回の参加者はSさん、Kさん、Eさん、そしてわたしです。
叱ってはいけない。ほめてもいけない。
前回から、「叱ってはいけない。ほめてはいけない。」では、
どうすれば?というわけで、アドラーの言葉を紐解いていきました。
問題行動の目的は「所属感」、つまり「共同体のなかに特別な地位を確保すること」という目的に根差している。
つまり、ルールを守らないとか、集団の調和を乱すといった問題行動には、
集団のなかで目立ちたい。という目的があるってこと。
その問題行動を正すために、叱りつけるというのは、
どこまでもコストの低い安直なコミュニケーション手段
です。あなたもわたしもそうだけど、大きい声で叱られるのは嫌です。
だから、叱られると誰もが、一旦、ゆうことを聞きます。
「宿題をしなさい!」と教師が怒れば、こどもはイヤイヤ宿題をします。
だけど、それは、宿題の意味について、合意をしたわけではないのです。
自分の人生は自分で選ぶことができる
教育をする立場にある人間、そして、組織のリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかなければならないのです。
教育の目標は「宿題を提出すること」ではないのです。
ゴールはそこじゃない。
ひとりの生徒が、自分が勉強する意味を理解し、自主的に勉強に取り組むこと。
また、勉強しなかったことでこうむる不利益を自分でかぶる覚悟をすること。
それを教えていくのが、教育の役割だということです。
自分の人生は日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料ーたとえば知識や経験ーがあれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿です。
変えられるものを直視する
他人は基本的に変えられません。
教師が生徒を変えようとしても無駄です。
では、教師が変えることのできるものはなんでしょうか。
それは教師自身であり、教え方であり、
カリキュラムであり、システムです。
宿題をしない生徒に宿題をさせるよりも、
いっそ思い切って宿題をなし!にするのもありなんじゃないかなと思います。
神よ願わくば私に変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを見分ける知恵とを授けたまえ。
みなさまのご意見
参加者のおひとりは「これって、中学生のことを書いているから、
大人に教える日本語教育ではちょっと当てはまらない気がする」
とおっしゃっていました。うーん。そうですね。
でも、わたしはどちらにもあてはまると思います。
どうしてかというと、どんな教育現場でも、
学習者に対して「ひとりの人間として尊敬する気持ち」がないとだめだと思うんです。
こどもだから、おとなだからと区別せず、
ひとりの「友人」として向き合うべきでしょう
とアドラーは言っています。
さて、今回も充実した会となりました。
一人で読むのもいいけれど、
わたしはみんなで読むのが大好きです。
読書に友人を。
では、また~。
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