今日は美容院に行きました。
かれこれ8年くらい、
同じ美容室で同じ美容師に切ってもらっています。
彼はわたしがズボラなことをよく知って、
厳しく美的生活の指導をしてくれるので、
信頼しています。
「わかばさん、ナチュラルというのは、
何もしないことではないのですよ。」
当たり前と言えば、当たり前すぎる
この一言でわたしは目が覚める思いがしました。
こんばんは。
わかばです。
大岡昇平著 野火
去年の今頃、塚本晋也監督の野火を観たのですが、
戦場をそのまま持ってきたような映像がショッキングで、
今までで一番のトラウマ映画になってしまい、
その後、1週間ほど、寝ても覚めても
野火のことを考える日が続き、
そうした最中に新潮文庫の「野火」を購入しました。
最初の方少しだけ読んで、それもまたトラウマで、
その後、1年間放置していたのを読み始めたら、
止まらなくなってしまい、ついに読了。
というわけで、紹介したいと思います。
映画はコチラ↓
難しいことは書けないし、
感じたことをつらつら書いていくしかないのだけれど、
ぎゅっと心をつかむものを言語化するのも、
また、難しい。
結局は、作者のいうように、
戦争を知らない人間は、半分は子供である。
ということだろう。
いや、わたしなんて、子供どころか赤ちゃんだろう。
太平洋戦争を扱った小説や映画によくみられる
「こんなに悲惨なことがあったのだから、
もう二度と戦争が起こらないように・・・」
というメッセージのもっと上の上をいく小説です。
肺病のため、部隊を追い出された田村一等兵。
病院に行っても受け入れてもらえず、
挙句のはてに病院は米軍の攻撃により爆破されてしまいます。
わたしは哄笑を押さえることができなかった。
愚劣な作戦の犠牲となって、一方的な米軍の砲火の前を、虫けらのように逃げ惑う同胞の姿が、私にはこの上なく滑稽に映った。彼らは殺される瞬間にも、誰が自分の殺人者であるかを知らないのである。
食べ物もない、水もない、
武器弾薬もないという状況の中、
ジャングルをさまよう田村一等兵。
そこには究極の孤独がありました。
名状しがたいものが私を駆っていた。(中略)熱帯の野の人知れぬ一隅で死に絶えるまでも、最後の息を引き取るその瞬間まで、私自身の孤独と絶望を見究めようという暗い好奇心かもしれなかった。
そして、山の廃墟の村で孤独な生活をしていたのですが、
ふと、十字架をみつけて、ふもとの村まで行ってしまいます。
その時、女性を一人殺してしまいます。
なぜわたしは射ったか。女が叫んだからである。しかし、これもわたしに引き金を引かす動機ではあっても、原因ではなかった。弾丸が彼女の胸の致命的な部分当たったのも偶然であった。わたしは殆どねらわなかった。これは事故であった。しかし、事故ならなぜわたしはこんなに悲しいのか。
だけど、米軍の攻撃にあったりして、
なかなかパロンポンにはたどり着けず、
狂って死んでいく戦友ばかりです。
そんな中、田村一等兵は、
お尻の肉がそぎ落とされた死体や、
大量に捨てられた人間の足首を発見します。
その時、病院で別れた安田と永松に会います。
そこで、田村一等兵は・・・
わたしはまだあたたかい桜色の肉を前にただ吐いていた。空の胃から黄色い液だけがでた。
もし、この時既に神が私の体を変えていたのであれば、神に栄えあれ。
私は怒りを感じた。もし人間がその飢えの果てに、互いに食い合うのが必然であるならば、この世は神の怒りのあとに過ぎない。
野火というタイトルは、その火の元には
誰かがいるというしるしです。
この作品のタイトルでもある野火。
田村一等兵の視界に入り続ける空にまで続きそうな野火。
それが意味するものを考えるのは、
人間そのものについて考えることです。
夏の終わりに強烈な読書体験を。
では、また~。
関連記事☆こちらもどうぞ