日本語教師わかばの教え方がうまくなるブログ

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日本語教師の専門性を考えてみた

Twitter界隈で「日本語教師の専門性」についての

議論が交わされていた昨日。

わたしもちょっと考えてみたので、

記録しておこうと思います。

 

こんばんは。

わかばです。

 

文脈としては、

「日本語で日本語教えるなら、わたしにもできそう!」

「はぁ?じゃあ、はとがの区別説明できるの?」

このように文法説明による反論しか

できないのってなんだかなぁ……

という流れからのスタートだったかなと記憶しています。

 

そもそも専門性って何?

「日本語教師の専門性」と口に出して言うとき、

「認めてほしい」という承認要求が

見え隠れしてしまうと思うのは私だけでしょうか。

 

いや、もちろん日本語教師に専門性はあるんだけど、

じゃあ、専門性のない職業ってあるの?

 

どんな職業にでも専門性はあると思います。

だけど、「医者の専門性がー」とは言わないし、

「ウエイトレスの専門性がー」とも言いません。

 

なぜだろう。

 

同じく待遇が悪いことで有名な介護士、保育士も

「専門性が求められる仕事なのに待遇がよくないのは

 納得いかない!」

ってその専門性を取り上げられます。

 

つまり、保育士、介護士、日本語教師には

ある種の共通点がある。

 

 「先生」って呼ばれてる。

(承認されてる。うれしい。)

でも、もらえるお金すくない。

(承認されてない。かなしい。もっと承認してほしい)

 

つまり、日本語教師って社会の中で、

そのあたりを漂っている職業なんですよ。

 

ハッキリ言って、「誰でもできる仕事」なのです。

 

なぜなら、参入障壁が低いからです。

定年後のおじさんとかでも普通に教えられます。

でも、同じ教師でも小学校教諭とかは

そうはいかないじゃないですか。

 

じゃあ、日本語教師になるために、

どれだけお金と時間を投資しましたか。

 

他の職業は

どのくらいのお金と時間を投資しているんだろう。

そう考えると、

日本語教師の社会における立ち位置が

見えてくるのではないでしょうか。

 

だから、一部の人に

「日本語教師はだれでもできる」と思われること。

それは仕方ない。

それが現実。

「現実は正解なんだ。」(立川談志)

 

現実をかえたいなら、

「専門性がある!」って叫ぶだけじゃなく、

工夫するしかないでしょう。

この業界の外にいる人が、

おもしろがるくらいのことを

やって発信していかないと。

 

日本語教師のミッションは?

例えば、どこかの会社の方が、

外国人社員を連れてくる。

「すみませんけど、彼、日本語できなくて、

 業務に支障をきたしてるんですよ。

 3か月くらいでどうにかなりませんかね。

 予算はこれくらいです。」

っていうオファーが来た場合、

あなたなら、どうするか。

わたしは日本語教師なら以下のことはできなきゃなと思っています。

 

・まず依頼者(本人のときもあり)にニーズを聞く

 (仕事内容、どのくらいの日本語が必要か?四技能すべて必要か?など)

・レベルチェックを行ない、本人の日本語レベルを見きわめる。

・ニーズに基づき、教材を選定し、カリキュラムを作る

・授業を行う

・日本文化、習慣などへの理解も深める

・自律学習についてのカウンセリングを行う

・進捗を確認し、上手くいっていないところがあれば修正を行う

・目指してきたゴールに到達する

・到達できた場合も、到達できなかった場合もフィードバックを行なう。

 

この一連の流れを遂行するために必要な知識と技術。

それが専門性。

日本語教育とはいいながら、

ほぼサービス業でもある。

 

上記は例として「ビジネスマン」にしましたが、

留学生でも、配偶者でも、ニーズがあり、

それを達成する力になることで、

お金をもらえているわけです。

それが日本語教師の仕事なのです。

 

 

それから、どうやったら儲かるか?

みたいなことを考える人も少ないんじゃないかな?

と思う。

むしろ、儲けちゃいけないみたいに言ってくる人もいて

驚く。

もう、国籍関係なく、富裕層は富裕層で、

貧困層は貧困層なんだと思うんだけど、

いつまでも日本人であるだけで、

与える側であるように思ってる人が多い。

 

 

自分を作っていく以外、道はない

わたしは日本語学校の非常勤講師です。

もちろん不満もいろいろありますけど、

それなりに、この仕事を楽しんでいます。

 

そんな中で最近思うのは、

日本語に関する知識にしても、

教案づくりにしても、

それは道具でしかないということです。

 

道具がどんなに素晴らしくても、

教える人そのものに魅力がなければ、

楽しい授業とはなりません。

逆を言えば、道具がショボくても、

教える人が魅力的であれば、

楽しい授業になるんです。

 

そんな魅力的な自分を作る。

 

自分がもし、外国語を習うなら、

どんな先生に習いたいか?

どんな人と学びたいか?

どんな経験をしたいか?

どんな言葉をかけられたいか?

 

自分なら自分なら自分なら……

 

それを考えぬく。

 

もちろん答えはありません。

だけど、ヒントはある。

 

毎日の出会いに。

本の中の言葉に。

 

だから、道具を作ることももちろん大事だけど、

自分を作ることはもっと大事です。

 

「誰でもできる仕事」を

「あなたにしかできない仕事」にするのは、

ほかならぬ、「あなた」です。

 

ちょっと支離滅裂になりましたけど、

では、また~。

 

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