台風が過ぎ去ったというのに、
まだまだ暑い京都からお送りしています。
こんばんは。
わかばです。
さてさて、
先日第3回のあきらめ会を行ないました。
参加してくださった方々、
ありがとうございました。
今日もこちらの本
死について
この本の一番はじめにある「死について」
今回はこれから始めました。
まず音読しましたが、
難しすぎて頭に入ってこないレベル。
例えば、
病気の場合のほか真実に心の落着きを感じることができないというのは、現代人の一つの顕著な特徴、すでに現代人に極めて特徴的な病気の一つである。
というのがありました。
病気になった時、落ち着きを感じ、
健康であれば、落ち着きを感じない?
たしかに、健康なときはどうしても気忙しく
働いてしまいますよね。また、
血行が恢復期の健康としてしか感じられないところに現代の根本的な抒情的、浪漫的性格がある。
このあと、ルネッサンスの話につながるのですが、
その意味があまりよくわかりませんでした。
でも病気のおかげで健康を意識するというのはありますよね。
その流れで「何も問題なく健康な人」っているのだろうか?
という話になりました。
参加された皆さんは私も含め、
どこかに病気を持っていましたが、
普通の生活、いつもの暮らしを続けられるなら健康なのでは?
というところに落ち着きました。
とにかく「死」と言われても、
肉親の死くらいしか、思い浮かべることができず、
何も想像できないわたしたちがいました。
三木清のいうところの
死は観念である
ということでしょう。
自分では体験できないがゆえの理解できなさ、
想像や聞いた話読んだ話を統合することでそれぞれに
作っていく観念のようなものでしか、語り合えない苦しさがありました。
その中でも少しだけわかるような気がしたのは
執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるから死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後自分のかえってゆくべきところをもっている。それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。私に真に愛するものがあるなら、そのことがわたしの永生を約束する。
例えば、幼い子供がいて死ねないという場合があります。
この世に未練がありすぎて、死ぬに死ねないみたいな。
三木はそれについて、
執着するものと死後の世界で会うという希望ができる。
だから死ねると言っているのでは?と考えました。
生き続けている限り、死んだ人にはどうしたって会えないけれど、
死んでしまえば、もし死後という世界があるなら、
そこで会えるかもしれない、と。
しかし、死後のイメージは生きている人間によって
「死後の世界はこうあってほしい」と望む心によって、
作り出されたもので、本当はどうなのか誰も知らない。
だからこそ「死は観念である」のだなと思いました。
参加者の方のこんな言葉も印象に残りました。
叔母が早くに亡くなり、
「どうして叔母さんは死ななきゃいけなかったんやろ」
と漏らした時、それを聞いていたお坊さんが
「生まれてきはったからです」
と答えられたそうです。
わたしはそれを聞いてそこにすべてがあると思いました。
死は死でしかなく、生まれてきたものに平等にふりかかるものだ、と。
だから、必要以上に恐れることも、
また、あがめる必要もないのだと思いました。
怒りについて
三木清によると、怒りには3種類あるそうです。
神の怒、名誉心からの怒、気分的な怒。
わたしたちが普段目にするのはほとんど気分的な怒りですよね。
そしてそれはコントロール可能だと言っています。
我々の怒の多くは神経のうちにある。それだから神経をいらだたせる原因になるようなこと、例えば、空腹と課睡眠不足とかいうことが避けられなければならぬ。すべて小さいことによって生ずるものは小さいことによって生じないようにすることができる。
いやぁ、ほんとそうですよね。
怒っている人にあったら
「ああ、お腹すいてはるんやな」とか
「最近ねられてはれへんのやな」とか考えればいいってわけです。
このあたり、「死について」が難しすぎて、
サクサク読めました。
また、わたしはこの言葉が好きです。
怒を避ける最上の手段は機智である。
勉強して、知識を持ち、
それを活かすことで、気分的に怒ることを避けられる!
勉強しないといけませんね!
嫉妬について
もう嫉妬については、
この言葉につきますね。
終了後、すぐにツイートしました。
嫉妬は自分よりも高い地位にある者、自分よりも幸福な状態にある者に対して起る。だがその差異が絶対的でなく、自分も彼のようになり得ると考えられることが必要である。全く異質的でなく、共通なものがなければならぬ。#三木清#人生論ノート
— わかば@日本語教師とライター (@saeriwakabaya78) 2018年8月24日
しかも嫉妬は嫉妬されるものの位置に自分を高めようとすることなく、むしろ彼を自分の位置に低めようとするのが普通である。#三木清#人生論ノート
— わかば@日本語教師とライター (@saeriwakabaya78) 2018年8月24日
他人と比べるから嫉妬が生まれるのです。
他人と比べることは何も生み出しません。
これは、本当にそう思います。
他人はほんとうにどうでもよくて、
結局は自分次第。
自分と向き合わず、他人と自分を比べてばかりいると、
嫉妬の渦に苦しめられるのです……
でも自分と向き合うより、
他人と比べて文句をいうほうが楽だから、
人間みんなそうしてしまうんですよね。
最後に三木清の素敵な言葉を……
嫉妬からは何物も作られない。人間は物を作ることによって、自己を作り、かくて個性になる。個性的な人間ほど嫉妬的でない。個性を離れて幸福が存在しないことはこの事実からも理解されるであろう。
次回は10月5日(金)です!
読む本は未定です!またお知らせします!
では、また~
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