日本語教師わかばの教え方がうまくなるブログ

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第2回「あきらめ会」無事終了!すべての人間の悪は孤独であることができないところから生じる

30℃オーバーの京都からお送りしています。

もう、あつい。

そんな中、もっとあつい第2回「あきらめ会」が

先々週の金曜日に行われました。

 

こんばんは。

わかばです。

 

第2回「あきらめ会」は、

虚栄について

名誉心について

利己主義について

を読みました。

 

今回はコチラの解説本とともに読みました。

三木清『人生論ノート』を読む

なかなか難しいのですよね。

でも、第2回ともなると、

なんとなくではありますが、

コツみたいなものが分かってきました。

 

だだあーっとわかりにくい文が続いたあとに

ひとつ、1行だけ、フっと腑に落ちるような一文があり、

そこがヒントになっているということです。

 

たとえば、この記事のタイトルの

 

すべての人間の悪は孤独であることができないところから生じる 

 

もそうです。

そういった一文を手掛かりにしながら読んでいきました。

 

虚栄について

 

そもそも虚栄ってなんなん?ってことですが。

虚栄って、他人から見られる自分を意識し、

自分をより大きく見せることかなと思います。

バカにされたくないし、

優秀だと思われたいという気持ちそのものかなと。

そしてそういうのは、

なんだかよくないもののような気がします。

だけど、三木は

虚栄はあらゆる人間的なもののうち、最も人間らしいものである。

と言っています。そして、こうつづけています。

人間が虚栄的であるということは人間が社会的であるということを示している。つまり社会もフィクションの上に成立している。従って社会においては信用がすべてである。あらゆるフィクションが虚栄であるというのではない。ふぉくションによって生活する人間が虚栄的であり得るのである。

わたしたちは人間である以上、

何か人の役に立ちたいとか、

自己表現をしたいという欲求をもっているものです。

でも、実際にわたしたちは、

そんなものを生まれつき持っているわけではありません。

だからこそ、自分で自分の人生を作っていくしかない。

それはフィクションのようなものではないか。

そんなことを言っているのかもしれないなと思いました。

思えば、読書会をしてブログを書き、

SNSに没頭することも自分で自分の人生を作ろうとする

虚栄のあらわれにほかならないのですね……。

名誉心について

ここでは、じゃあ虚栄と名誉心とどう違うの?

って話からスタートです。

三木はこう言っています。

名誉心と虚栄心ほど混同されやすいものはない。しかも両者ほど区別の必要なものはない。(中略)個々の場合について両者を区別するにはよい眼を持たなければならない。

 

なにが名誉心で、なにが虚栄心なのか?

どうやって判断するのか?こんなヒントもあります。

虚栄心はまず社会を対象としている。しかるに名誉心はまず自己を対象とする。虚栄心が対世間的であるのに対して、名誉心は自己の品位についての自覚である。

 ここはすごく難しいのだけど、

簡単に考えたわたしなりの解釈は、

虚栄心というのは会社の中で認められたいとか、

学校でちやほやされたいというある種の社会の中なのだけど、

名誉心というのは、「あなたなんかとわたしは違うのよ」

って感じで自分を際立たせるものなのではないのかなぁと思いました。

両方、自己顕示欲に満ち満ちているという点で

似ているのだけど、名誉心はなんとなく「名を残したい」とか

そういうことのような気がしました。

利己主義について

利己主義者については

利己主義者には想像力が欠けているというのは、

かなりうなづけると思いました。

 

来月のあきらめ会

日時 7月6日(金)です。

課題本 人生論ノート(三木清著)

場所 京都市内某所

 

来月もよろしくお願いいたします。

 

人生論ノート (新潮文庫)