日本語教師わかばの教え方がうまくなるブログ

日本語教師わかばのことばにまつわるあれこれ。ライターもやってます。旅行と映画と本が好き。

【ネタバレ】「君たちはどう生きるか」の感想

『君たちはどう生きるか』感想2023.8.8

 

1回目(2023.7.29)はなにも考えずにただ見て受け取った。

2回目(2023.8.5)はそこに描かれているものについて考えながら見た。

 

  1. ヒサコとナツコの関係と眞人

 

ヒサコ(ヒミ)とナツコは仲の良い姉妹ではない。そのことに気付いたのは、産屋のシーンでヒミがナツコに「おいで」と言ったがナツコは行こうとしなかったからだ。もしかしたらナツコは昭一(眞人の父)のことがずっと好きだったのかもしれない。姉妹で昭一をとりあったのではないか。「戦争が始まって3年目で母が死に、4年目で母の実家(宇都宮?)に行った」と語られるがその時にはもうナツコが妊娠しているなんていくらなんでも早すぎないか? そもそもナツコは眞人の叔母に当たる人だ。駅で出会うシーンからして、今まで交流がなさそうだ。そんな関係であるにもかかわらず、眞人の手をとり、お腹に当てて胎動を感じさせ「あなたの弟か妹がいるんですよ」というのはあまりに不躾で眞人に対する嫌がらせのようにも感じた。実際、眞人は嫌がっている。屋敷では眞人が火に包まれた母の「助けて」という声を聞いた後、ナツコと昭一が抱き合っている様子を目撃する。眞人は平気な顔をしているが、心の中ではざっくり傷ついているはずだ。

 

  1. 物語の背景となっている戦争と昭一

 

作品中では戦争中であるということが誇張的に示されることはない。冒頭で見られる出征シーンくらいだろうか。(ちなみに出征兵士の名前が助監督の名前)まだまだ自然は美しく、人々は穏やかだ。昭一はある朝の朝食時「サイパンが陥落した。海軍は1年もつと言っていたのに、持たなかった。おかげでこっちは商売できる」と恐ろしいことをいう。まさに死の商人。昭一は爆撃機を作る会社の工場の経営者であるようだ。宮崎駿自身の実家も戦闘機の部品を作る商売をしていた。それに対するナツコの発言も「かわいそうねえ」とまるで他人事で、戦争の最前線で戦って死ぬのは庶民で、上流階級は美しい着物を着て何も変わらない生活をしていることがわかる。また、眞人の通う学校では戦争という非常時ゆえに勉強などはほとんどしておらず、ひたすら勤労奉仕をさせられている。父親を亡くした子もいるかもしれない。そういう子どもたちが眞人に反感を抱くのはごく自然なのだが、それは眞人のせいではない。そこにも眞人の苦しみがある。ちなみに宮崎駿の父親の工場は栃木県宇都宮にあった。本人も近くに疎開をしていたことから、この映画の設定そのものが宮崎駿の少年時代のものといえる。宇都宮は1945年7月12日に米軍による大空襲があり、ラストシーンの塔の崩壊はまさに大戦末期の大日本帝国の崩壊を思わせる。

 

  1. 生まれくる子どもたちと死にゆく老人の共存

 

大きなお屋敷には、妊娠中のナツコと多数の老人が住んでいる。横たわる老人は今にも息を引き取りそうだ。この屋敷には生まれくる命と死にゆく命が同居しているのだ。命は次世代に受け渡すものであり、永遠に受け継がれていくものであるという世界観が垣間見える。それこそが美しい世界だと伝わってくる。かつてはどの家でもそうであったが、現代は核家族化されており、命の誕生や死を間近に見ることはない。生死は病院や介護施設に隠されているからだ。

黄泉の国にいるわらわらも今から生まれようとしている命そのものに見えた。ペリカンがわらわらを食べにくるが、それをヒミが助けにくるシーンがヒミの初出だ。やはりヒミは「母なるもの」なのである。作品には、くるくると回るもののモチーフがいくつか登場する。キリコが来ている着物の車輪柄は伝統的な着物の柄で、いつまでも回り続けることから「永遠」を意味する。また産屋には紙垂のようなものも回っている。これも命が永遠に受け継がれることを表しているのかもしれない。おまけに、主題歌は「地球儀」だ。

 

  1. 石について

 

それとは対照的なのが石だ。石は墓石を連想させる死の象徴。だから、眞人は石で自分の頭を叩き割り死のうとしたのだと思う。最初は、いじめた子どもへの当てつけかと思ったがよくよく考えるとそんな単純なことではなかった。お母さんのところへ行こうとした。でも行けなかった。眞人が黄泉の国に着いたとき、ペリカンたちに押されて墓に入ってしまう。そこには巨大な石が積まれた神殿のようなものがある。これは『もののけ姫』でモロとサンが住んでいた家と同じ形をしている。巨石は神様が宿る神聖なものであるから、偉い人の墓に使われたりする。(と以前岡田斗司夫が解説していた動画があった。探してみたけど見つからなかった)産屋も石でできていてエネルギーを発している描写がある。

 

  1. 悪意について

 

自分を殺してしまうこと、それこそが「悪意」なのだと受け取ってみた。眞人は最初、自分の境遇を嘆き死のうとした。しかし、お母さんが眞人に残した『君たちはどう生きるか』を読んだ後、眞人は自分の境遇を力に変えようとする。それは嫌いなはずのナツコと腹違いの自分の兄弟を救いにいくことであった。その使命を果たすことを通して、少年が成長する物語というのが本作だが、このストーリー展開こそが宮崎駿の真骨頂である。宮崎駿は誰よりも子どもの持つ力を信じていて、それを一生かけて描き出している。実際、眞人は成長した。そして大叔父さまから与えられる地位を拒否し自分で生きていくと決めたのだ。自分の「悪意」を受け入れて、自分の好きなように、友達と。このクライマックスの清々しさは何とも言えない。

 

  1. 母と女性

 

母は女性である1人の人間が担いうる一つの役割でしかないにもかかわらず、この映画のなかで全ての女性は「母」として振る舞っている。キリコも眞人を育てた人だ。反対に、昭一の眞人への愛情は見当違いも甚だしい。やっていることが荒唐無稽でインコにまみれるだけだ。人間を育てるものは女であり母であるという宮崎駿の揺るぎない価値観と母への健気な愛情がこれでもかというほどに作品の中に詰め込まれている。ラストシーンで明らかにされるのはナツコが生んだ子もまた男の子だったということだ。80歳になっても息子は息子なのだなあと感慨深い。無条件の愛は、親から子に与えられるのではなく、子から親に与えられるものなのだということを改めて思い知らされる。それは主題歌でも歌われている。

 

僕が生まれた日の空は高く遠く晴れ渡っていた。

行っておいでと背中をなでる声を聞いたあの日

ぼくが愛したあの人は誰も知らないところへ行った。

あの日のままの優しい顔で今もどこか遠く 

米津玄師『地球儀』

 

 

 

「君はどう生きるか」と問われたら、わたしは「好きなように生きる」と答えると思う。受け継いだ命である自分を自分で殺すことなく、次世代を生み育てて寿命が来たら死ぬ。人生はたったそれだけで、意味などない。だからこそ、自分の好きなように生きたいと思ったし、そのように生きてもいい。さらに言えば、わたしは好きに生きるに値する世界をつくりたいと思った。

 

次見たら考えたいこと

 

・大王の存在の意味

・ペリカンの意味

・あの墓は誰の墓

・塔は降ってきたというおばあさんたちの話

・ラストシーン、ヒミはどこに行ったのか