仕事に本格的に復帰して、
時間のなさを日々痛感しています。
仕事をしながら、子育てもし、睡眠時間を確保し、
ブログを書いたり、英語を勉強したりする時間をとるのは
至難の業です・・・はい・・・
こんばんは。
わかばです。
今日は、星野道夫さんの「旅をする木」というエッセイを読みましたので、
それを紹介いたします。
以前に「地球交響曲第三番」という映画をみたことから、
この本を読むに至りました。
アラスカの自然を撮り続けた写真家で、
ロシア・カムチャツカ半島でテレビ取材に同行中、
ヒグマに襲われて急逝されました。
わたしたちの持ち時間
わたしたちは生きて死ぬ存在なのだということを
教えてくれる本でした。
星野自身がヒグマに襲われて亡くなるのを
わかっていなのではないかと思うほど、
命と人生についての言葉が深かったです。
星野さんは20代のときに、
親友を山でなくされています。
二十代のはじめ、親友の山での遭難を通して、人間の一生がいかにみじかいものなのか、そしてある日突然断ち切られるものなのかをぼくは感じとった。わたしたちはカレンダーや時計の針で刻まれた時間を生きるのではなく、もっと漠然として、脆い、それぞれの生命の時間を生きていることを教えてくれた。自分の持ち時間が限られていることを本当に理解した時、それは生きる大きなパワーに転化する可能性を秘めていた。
父のこと
例えば、「時間の大切さ」「命のはかなさ」のようなことは、
いろいろな書き手が書いていて、
それはそれで納得できる自分がいました。
でも、文字で読んで分かった気になるのと、
実際、それを体験し実感するのとでは、雲泥の差でした。
父は70歳になったばかりで、そのわずか1時間前まで、
ふだんどおりの生活をしていた父の人生はある日突然断ち切られました。
それから
父が亡くなった日、自分が強烈に感じたのは、
「わたしもいつかこんなふうに死ぬのだ」
という事実でした。
それからは、自分の中の意識が変わりました。
本当に明日死んでもいいように、
今日を生きようと思いました。
「家族とけんかをしても、けんかをしたままでは、
でかけないし、眠らない。かならず仲直りをしてからにする。」
「やってみようと思ったことは、とりあえずやってみる。」
「自分の気持ちを言葉にして残す」
このブログもその一環でした。
自然の脆さ
自然はいつも強さの裏に脆さを秘めています。そして僕が魅かれるのは、自然や生命のもつその脆さの方です。
そういう脆さの中でわたしたちは生きているということ、言い換えれば、ある限界の中で生きているのだということを、ともすると忘れがちのように思います。
「人間と自然」という言い方をしますが、
「人間も自然」なのだと思います。
だから、死ぬときは死ぬのです、はかなく。
でも、自然の一部、命のサイクルに自分は
組み込まれているのだと思えば、
死はことさらに恐れるようなものではないのです。
まとめ
星野さんもまた命の有限性を知って、
自分の心に正直に、ていねいに生きた人だったのだなと感じました。
最近は、自分が生きたいように生きるている人は実際少なく、
たまに、そのような人に会うとうれしくなってしまうほどです。
自分がどのように生きたいか?
自分と向き合えるのは自分だけです。
都会のマンションの白い部屋の中より、
海や森や青空の下で、自分と会話する。
そのような時間を大切に生きていきたいと思いました。
わたしたちが生きることができるのは、過去でも未来でもなく、今しかないのだ。
人生に今を。
では、また~。
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