日本語教師わかばの教え方がうまくなるブログ

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日本語教師にとっての日本語学校とは?

今日は雑誌「ことば・こころ」Vol.40 復刊第2号

(公益財団法人京都日本語教育センター)

に寄稿したエッセイを先方の許可を得て、

紹介したいと思います。

ブログ用に多少加工しています。

 

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わたしは今の学校で非常勤講師として12年日本語を教えています。この12年間でいろいろな出会いがありました。それは学生との出会いでもあるけれど、同僚の先生やスタッフ、そして出張先の方など教える側の人たちとの出会いもありました。そこから学んだものは本当に大きいものです。今回は教師にとっての日本語学校について考えてみたいと思います。そして、日本語学校で働いている先生の「これから」や「明日」の対する「不安」にスポットをあててみたいと思います。

 

どんな不安か?まず挙げられるのは経済的な不安でしょう。特に非常勤講師は学生が減れば、コマ数は減ります。コマ数が減れば、給料は減る……。そして、将来・老後に対する不安。次いで、自分の能力に対する不安……。不安はつきません。何を隠そうわたしが一番不安を抱いてきたのかもしれません。

 

そうした不安を払拭するために、教える場として大学を目指すという道があります。進学し、多大なる費用と時間を投資してでも、そこを目指そうとする気持ちは日本語教師なら誰もが理解できることでしょう。もちろん、大学の中にもいろいろな雇用パターンはあるでしょうが、そのいずれにしたって、日本語学校よりは……(以下略)。実際に、今まで何人もの同僚の教師たちが活躍の場を大学へと移して行き、さびしくそれを見送りました。

 

また、結婚、出産で現場を離れる教師も多数いました。わたしも出産をしましたが、非常勤講師は基本的には雇用保険に入っていないため、会社員でいう産休・育休とはわけが違います。育休といっても、単に名簿に名前が残っているだけです。つまり、学校側からのオファーがない場合、自己申告のち、仕事があれば仕事復帰となります。このような事情のため、ゆっくりと復帰。または、別の学校で復帰という教師もいます。

 

そのほかに、この業界から足を洗って、違う仕事をしている人もいます。日本語学校の専任になった先生もいます。

 

このように、ひとくちに日本語教師といっても、いくつもの道があり、それぞれがそれぞれの道を選んで生きていくのです。それを思うとき、日本語学校というのは「日本語を教えることを仕事にしよう」と思った人たちが必ず通る場所のような気がしてなりません。まさに、日本語教師のキャリアパスの十字路です。みんなが迷いながら悩みながら、ここで働き続けたり、去っていったり。日本語学校は日本語教師にとってそんな場所なのではないでしょうか。

 

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出典 「ことば・こころ」Vol.40 復刊第2号

(公益財団法人京都日本語教育センター)