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映画No72【沈黙ーサイレンス―】あなたが本当に何を信じているか?心まではわからない

遠藤周作の名作、あの「沈黙」を

マーティン・スコセッシが映画化。

そう聞いただけで観ずにはいられない映画です。

 

こんばんは。

わかばです。

 

沈黙―サイレンスー(2016/米)


『沈黙-サイレンス-』予告

監督:マーティン・スコセッシ

主演:アンドリュー・ガーフィールド

あらすじ:

江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。

 

こちらも観てから少し時間が経ってしまいましたが、

思ったところを書き記しておこうと思います。

 

オススメ度 ★★★☆☆(3.5)

以下、ネタバレあります。

宣教師を守るため、命を投げ出す隠れキリシタン

キチジローの案内によって日本に入った二人の宣教師。

隠れキリシタンの人々と出会い、自分の使命を感じます。

しかし、そこへ筑後守井上さまが登場して、

キリシタンの弾圧を始めるというところから、

映画は始まります。

わたしもこの映画の予告編を観たときは

江戸幕府は隠れキリシタンに対して、

こんなに残酷なことをしたんですよ!!

というだけの映画だったらいやだなぁと思っていたんですが、

そこは大丈夫でした。

幕府側は隠れキリシタンを即、罰するというのではなく、

あくまで、宣教師を罰するという構え。

しかしながら、どうしても宣教師をかくまうというなら、

信者を罰するとし、踏み絵をさせられます。

また、マリア像に唾を吐かせます。

できない者は信者というわけで、

長い時間をかけ、十分苦しませたうえで、

殺すというやり方をします。それが何ともむごい…。

その一部始終を見ている宣教師自身も苦しみます。

「弱きものがこんなに苦しんでいるのに、

 なぜ神は沈黙したままなのか・・・」と。

https://iwiz-movies.c.yimg.jp/c/movies/pict/c/p/e1/00/358205_001.jpg

ひたすら宣教師に棄教をせまる幕府

幕府の考え方はこうです。

日本をキリスト教国にはできない。

日本をキリスト教国にすることは、

キリスト教国の支配を受けることだから。

だから、隠れキリシタンは悪くない。

悪いのは宣教師と人々を魅了するその教えだ。

だから、宣教師が教えを捨てれば、

きっとキリシタンはいなくなる。

・・・というような理屈で、

幕府は宣教師に棄教をせまります。

「おまえの存在自体がキリシタンを苦しめているのだ」と。

そのための、手段として、隠れキリシタンを

徹底的に痛めつけるのです。

そういうただの悪者ではない筑後守井上を

イッセー尾形は怪演していました!

(イッセー尾形といえば、「太陽」の昭和天皇役もよかったですね)

 

信仰とは何かを問いかけるキチジローの存在

そういうせめぎ合いの中を

フラフラと入り込んでくる存在がキチジローです。

窪塚洋介が演じています。

キチジローは軽々しく踏絵を踏み、

マリア像に唾棄したにもかかわらず、

主人公のロドリゴ宣教師に対して、

「わるかった。もうしない。本当はイエスを信じている。」

というようなことを言います。

そうかと思えば、幕府の人間に宣教師を売ったりします。

よくわからないけど、

聖書の中にでてくる裏切り者のユダに似ています。

そのキチジローはキリシタンの弾圧もゆるくなってきた頃に、

持っていた十字架が役人の目に留まり処刑されるのですが、

彼が本当にキリスト教を信じていたのかどうか

本当にわからないのです。

https://iwiz-movies.c.yimg.jp/c/movies/pict/c/p/3c/a2/358205_006.jpg

行動と信仰は必ずしもイコールだとは限らない

フェレイラ神父は日本で棄教していました。

そのフェレイラ神父に会い、

隠れキリシタンに対する拷問に耐えかねて、

ロドリゴ宣教師もついには棄教してしまいました。

そう、キリスト教徒としての行動を取ることを

一切やめました。

仏教に改宗したことになり、

日本に住み、日本人の伴侶と

つづがない日常を過ごし、日本で亡くなります。

しかし、彼の心の中まで、

誰が知ることができるでしょう。

ロドリゴ宣教師が、フェレイラ神父が

そしてキチジローがその心の中で、

どんなことを思っていたのか、

他人にはわかり得ないことです。

そして、本当の信仰とは、

誰もわからない心の奥底にあるものだ

ということがこの映画を通してわかったのでした。

 

信仰とはなんぞや。

では、また~。

 

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